インタビュー

『がんばれ、キラメキびと』 第7回 対談者 横田 潤子さん

シリーズでお送りしている、狩谷亮裕さんのインタビュー企画。
『がんばれ、キラメキびと』
前向きに取り組む仲間の活動を紹介することで、一人でも多くの人たちを勇気づけられ
たらとの願いから始まった。

インタビュー7回目は、横田潤子さんとの対談を紹介する。

奈良県出身、関西外国語大学を卒業、22歳で美容の道を志す。
外資系化粧品会社に入社後、皮膚整理に基づきのべ約4万人の肌を診断する。
その後自然療法や民間療法に興味を持ち、温熱療法を学び、現在のエステティシャンの仕事に就く。
20数年前に、魚釣りがこうじて海のない奈良から、海のある和歌山のここ~うつくしいさと~美里に移住してきた横田さん。私とはホームページ作りを依頼して頂いたご縁で今回のインタビューに至りました。
過労や自律神経のバランスの乱れ等から、筋肉疲労・内臓疲労を感じる人が多くなっている今、自然に囲まれたログハウスサロンで、日々のストレスを忘れ、思いっきりリラックスしてみるのはいかがですか?保護犬の穂高くんとお待ちしています。

美容との出会い
~流され・言われるがままの私をつないだ”人との縁”~

 

狩谷
狩谷
美容に興味を持ったのはいつですか?
横田
横田
「ダカールラリー」のカメラマンとの出会いがきっかけです。履歴書へ貼る私の写真をキレイに撮ってくれたんです。
その時私は大学卒業を控えて就職を考えていましたから。

そのカメラマンの奥さんから、エスティローダーの姉妹会社である『クリニークラボラトリーズ』で働いてみないか?というお話をいただいたんです。

横田
横田
当時は、シャネルとか有名なブランドが色々あるけど、どこの会社も成果主義で、売上を挙げているバリバリのキャリアウーマンのお姉さんたちを自分のところに引き抜いてというスタイルが常識でした。ヘッドハンティングとかも当たり前にあったしね。

私が入った会社は、その当時日本に初上陸のブランド会社で、会社の人材育成方針は、すでに育った即戦力を引き抜くやり方で、大卒で入ったのは私が初めてでした。

当時の化粧品会社としては斬新だったらしく、「そんなやり方でやっていけるのか」という声も少なくはなかったみたい。

狩谷
狩谷
すごい競争社会ですね…。そんな中で売り上げを出すのって大変じゃなかったですか?
横田
横田
まぁ、大変よね。周りはどんどん結果を出していくし、私も営業とビラ配りぐらいはしましたけど。

でも、あの時代はバブル真っただ中の時代だったので、割と百貨店とかの化粧品売り場のコーナーで、前に出て何かをやってれば足を止めるお客さんは多かったですよ。

そこで来てくれたお客様と対面で皮膚に関する診断を行っていました。それが私の「美容」の原点かな。

先輩のお姉さんたちは10人ぐらいいたけれど、1年するかしないかの間にマネージャーと私以外はみんな辞めていきました。

狩谷
狩谷
それはマネージャーが厳しかったからですか?
横田
横田
そうそう。
狩谷
狩谷
そんな中で横田さんも自分も辞めようとはならなかったんですね。
横田
横田
私は、その業界に対して完全に素人だったから、「この仕事やっててこれがキツい」みたいな既成概念がなかったし、しんどいと思ったこともなかったです。
狩谷
狩谷
なるほど。
横田
横田
1年ぐらいして自分より年下の子が入ってきているのに、その子と一緒に裏方で雑巾がけをするのも「いつもやってることだから」ぐらいで何とも感じなかったし。

後で振り返ったら、あれ?年下の子もいるやん みたいな。
むしろ私には、マネージャーのビジネスライクのやり方が勉強になりました。

横田
横田
マネージャーは厳しい人だったけど、優しさもあった。言うときは言うけれど、褒めるときは褒める。愛情を感じました。そういうところは好きでしたし、この人といると面白い。こんな良い会社他にはないなと。

それである時一緒のタクシーの中でマネージャーから、
「新人さんたちはいるけれど、先輩はみんな辞めたのでここのチーフにならないか」と勧められました。

自分が知らないところで評価されているのに気付けた
~菩薩の横田と呼ばれ人を教育そだてる側に~

狩谷
狩谷
1年でチーフに。すごいですね。
横田
横田
そうかな?私も私で普通だったら「私にチーフなんて」と断りそうな年数と年なんだけど、その時の私の答えは何を思っていたのか、「はい、やってみます」だった。二つ返事で受けたのよね(笑)

とにかくやってみようという気持ちが出ていたんだと思います。

狩谷
狩谷
不安などはなかったですか?
横田
横田
当時は全然。何にでも物怖じしない性格なので。
それで、チーフの役についたのが23歳の時でした。

これには周りの人たちもびっくりしていたみたい。
実際、他のメーカーからも「うちに来ないか?」とヘッドハンティングもありました。

狩谷
狩谷
周りのメーカーさんもびっくりしていたでしょう。
横田
横田
チーフは新人社員の研修・育成の係もやっていたので、私もやりました。私がチーフになってから、何人かの新入社員も入ってきましたよ。
狩谷
狩谷
今度は育てる側に?
横田
横田
そうね。私の接し方が良かったのか。居心地が良かったのか。けっこうその子たちが私を慕って辞めないから、会社の上層部の人たちの間では『菩薩の横田』と言われてたみたい。自分では全然そうは思っていないのですが( ^ω^)・・・

それから何年か経って、教育担当として京都の「高島屋」に移動になりました。
新しい場所では売り場が今までの倍になり、従業員の数も25人程になりました。

横田
横田
20代後半のころは、少し自分の中に余裕も出てきて、こんな風に思われていたんだ、と自分が知らないところで評価されているのに気付けました。

「高島屋」へ移って勤務していたころ、以前の大丸で私が育てた子たちがほとんど辞めていたと聞き、とてもショックでした。

狩谷
狩谷
『菩薩の横田』…。言われてみれば確かにそうかも。
今でも、人を集めて仕事をされようとしていますし、
私も横田さんの影響で同じカウンセリングの資格を取ろうと思ったし。
横田さんには人に影響を与える力 みたいなものがあるのかも。
横田
横田
そうかな。人生どうなるか分からないけど、私自身『人との縁』はすごく感じます。

自然療法との出会い
~科学に依存しない体の持っている治癒力を生かす療法に感激~

狩谷
狩谷
自分からエステに興味を持ち始めたのはいつごろになるんですか?
横田
横田
”テルミーちゃん”と出会う前にこの仕事からは離れてるから、ブランクはあるんだけど、大学の頃から美容については興味がありました。
横田
横田
温熱療法との出会いは、一番は病気で寝たきりになった母のひと言でもう一度やってみようと決めたのが大きいけど、それ以前にも温熱テルミーや自然療法と出会うエピソードはあったんです。
狩谷
狩谷
ぜひ聞かせてください。
横田
横田
私の友人の姉が身体的にとてもしんどい思いをしていて。

彼女は、西洋医学の治療では自分に合わないと感じ、自然豊かで静かな場所で、食べる食事などにも気を遣ってくれる施設に転院をしました。私は、その施設で初めて自然療法と出会いました。

横田
横田
彼女の夫は様々なことを勉強し、良さそうなことは軒並み試していました。

例えば、『元気玉』じゃないけど、仰向けに寝ている姉の上に立ち、手で気を集めて一気に流し込んだりするやり方とかね。

それで私は西洋医学以外にこんな素晴らしい療法があるのかと感激しました。

横田
横田
それから自然療法について知識を深めていく中でテルミーちゃんとも出会いました。
狩谷
狩谷
後は前にも聞いたような流れになっていくんですね。
横田
横田
そうそう。当時母が難病を患って寝たきりになったのが、今の私と同じ65ぐらいの時だったかな。私はもうその時にはこっちに来ていたから、奈良の母のところと往復する形で看病していました。
横田
横田
そのとき住んでいた家はここじゃなくて、下にあるログハウス集団の一つだったんだけど、私の隣に住んでいた人が九州から越してきた人で、その人が温熱テルミーの先生をやっていて。

私も前に自然療法に興味を持った流れである程度の知識はあったし、不思議な縁だなぁぐらいに思っていたら、その人が、私が母の看病で奈良と和歌山の行き来でバタバタして、心身共に疲弊するのを見かねて

「あんた、ちょっと寄っていき。これ(テルミー)やったげるわ。看病の合間に1週間に1回でもやっていったらいいわ。ちょっとは違うで」と勧めてくれたんです。

横田
横田
病気の母にもやってみたところ、これも煙が施術中に立ち上るので、咳き込まないかなぁという心配もあったけれど。

何しろ、洗濯するのに母が寝ている部屋とは違う部屋でやっていても、流れてくる洗剤のにおいでゲホゲホ咳き込むほどの母が「潤子、これは全然咳けへんわ。これいい。」と言ってくれた。

横田
横田
それで、やっぱり自然にあるものを使って行う療法には、化学療法とは違う、効果や効能があるのだと。人の心の治癒力も自然に高めてくれるかもしれない。と思い、テルミー温熱刺激療法も自分のサロンに取り入れようとこの時決心しました。

エステやテルミーの魅力を広め人と人とを繋ぐ
~女性や若い人たちがいきいきと活動できる場づくりを~

狩谷
狩谷
最後に、横田さんが、今感じていることや、これからやりたいことなどをお聞かせください。
横田
横田
このような経験からエステティシャンという仕事を通して、人と人をつなげる仕事をしたいなと考えています。
狩谷
狩谷
『人と人をつなげる仕事』ですか…。
横田
横田
特にエステというのは、相手の体を直接触るし、お客様とエステティシャンが1対1だし。お客様にも体の微妙な変化を言ってもらいながら、その日その時の体調に合わせて、お客様と共にやっていく作業で、体を介した、ひととひとの会話。もう少し言えば自身の”からだとこころとの対話”なんです。

私は、この仕事というのは、お客様ひとりひとりの快適を追求することだと思っています。

狩谷
狩谷
人と人との相性はありますよね。私もHPを作ったり、依頼された記事を書いたりと、業種は全く違いますが、お客様のことを常に考えて最適解を提供する というのは、私自身心がけていることでもあります。
横田
横田
どんな仕事でも、その本質っていうものは同じところのような気がするよね。

私は女性専用サロンということでこの「ホワイトローズ」を掲げているし、今まで話したような私の経験から来ているのもあるんだけど、今後はエステとテルミー温熱刺激療法の魅力をもっと広め、女性や若い人たちがいきいきと活躍できる。そんな場所づくりや発信をしていきたいです。

狩谷
狩谷
HPにも、ご案内のところに、「女性は磨けば磨くほど輝きます。」って書いてますもんね。
横田
横田
そうね。世の女性って家事に育児にと本当に頑張ってるじゃないですか。女性たちに、少しでもほっとできる癒しの時間・空間を提供したい、そう思っています。

私は、エステティシャンという仕事は、『女性が生き生きと働ける職業』だと自負しています。例えば出産等でキャリアから離れてしまった女性であっても、また、これから働きたいけどどうしようと思っている女性であっても。こんな田舎ででも、エステティシャンという、立派な職業があるんだぞ ということを私、そして「ホワイトローズ」を通して伝えていければと思います。

狩谷
狩谷
本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。
横田
横田
こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。