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概要
シリーズ『がんばれ、キラメキびと』。狩谷亮裕さんのインタビュー企画。前向きに
取り組む仲間の活動を紹介することで、1人でも多くの人たちを勇気づけられ
たらとの願いから始まった。3回目は、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と
闘いながら執筆活動を続ける、和歌山県御坊市在住の大畑昇一さんを紹介する。
わたしと大畑さんとの出会い…
~未知なる世界への冒険~
「中学校の文化展に作品を出展したが、期待していたような反応もなくがっかりしたよ。
ワシの意図を汲み取ってもらえなかったようや」。そういうと車いすを反転させ、シワクチャな紙袋から返却されたものであろう出展作品を取り出した。それには、廃校になったモノクロの校舎の写真やカズラなどが貼り付けられ、故郷と子どもたちへの思いが書き殴られていた。
今回わたしとの対談を快諾してくれた大畑昇一さんだ。彼は、わたしが密かに憧れを持つ執筆の世界を半世紀近く前から目指し、いくつかの作品をひっそりと世に送り出している。
心の師匠でもある、人生の大ベテラン。とても69歳とは思えぬ若さだ。
わたしと大畑さんとの出会いは一年ほど前。知人の紹介で、ご自宅を訪問させてもらったのがきっかけだ。わたしは当時、体調が優れなかったが、そのときも今と変わらず、執筆の構想をたてていた。『自宅に住み込んでしまった幽霊女』の話を書きたいのだと楽しそうに続ける。
話の構想途中にも関わらず、惜しみなく一時間以上聞かせてくれた。
そのストーリーの楽しさに、わたしは体調が少し良くなったような気がした。
そして、彼もまた難病を抱えていることを忘れているかのようだった。
まるで無我夢中で遊ぶ子どものように…。
これは今でも変わらないが、わたしは、大畑さんとの時間がとても楽しい。
少しの気分の落ち込みがあっても、彼との何気ない世間話。そして、そこから流れるようにはじまる新たな執筆のネタ話。わたしはいつでも決まって、彼の持つ世界観に導かれるかのように引き込まれる。わたしは、大畑さんとのこの瞬間が楽しくて、待ち遠しくて、たまらないのである。
だからこそ大畑さんとまた会いたい。温めている作品の話を聞かせてもらいたい。
そこから着想を得た私の、足元にも及ばない構想も聞いてもらいたい。そして何より、
夢と情熱を持ち続けるエネルギーを”感じたい”と思うようになった。
―師匠は田舎の書斎で執筆活動―
お会いするのは、この日が五回目だったと思う。川端康成は伊豆の温泉、堀辰雄のお気に入りは軽井沢。小林多喜二は厚木の七沢温泉…などなど。昭和の文豪たちがそうであったように師匠もまた、執筆活動は普段の生活とはかけ離れた、山間の古びた生家で行っている。
瓦葺きで土壁、太い柱が使われた日本古来の民家。その軒下で車いす同士を突き合わせる。
いざ、対談の準備は整った。
この日のインタビューのためにわたしは、お邪魔にならないよう事前に連絡を入れ、万全の態勢で臨んだ。そして、いつもとは少し違う口調で、こう切り出した。「”相棒は笑わない”自費出版、おめでとうございます。90歳を超えるお父様のお世話をしながら執筆活動されている、エネルギーの源などをお伺いできればと思っています」。大畑さんの笑みと私の表情が対照的な中、続けて「執筆を始めたきっかけは……」と言いかけたとき、雑草に占領されてしまっている以前花壇であった庭の前を、「あれ、お客さん来たあらよ。こい置いとかよ。」一目で畑仕事からの帰りだとわかる近所のマダムが通りかかった。
突然のアクシデントでも ”師匠は慌てない”
そういうとマダムは、土のついたままの白菜と水菜を台の上に無造作に置いた。
「おおきによ。水菜は生でも鍋でも食べられるな~」と師匠。
2人で話をしていると、マダムがこちらに気づいたようで、見慣れないわたしの方を見て、「今日はなんない」。どうやら、井戸端でのおしゃべりをまだまだ楽しみたいご様子。
無反応 というわけにもいかないので、仕方なく「ちょっとお話をさせてもらいに来ました」。と返した。
田舎の人は話をし始めると、長い。散々話を展開した挙句、元の話に戻って再スタート…ということもざらである。
このままだと、時間がいくらあっても足らない。色んな意味での焦りを読み取ってくれたのか、この時のわたしには師匠の顔が「ここは俺にまかせろ」と言っているように見えた。
ここは師匠に任せよう と覚悟を決めて、私は沈黙を貫くことにした。
田舎のマダムの扱いには手慣れた師匠。せっかくなので、その様子も一部、記事にする。
我が師匠の名人芸を得とご覧いただこう。
全快!大畑ワールド!!
~ブラックホールに吸い込まれる如き話術~
向こうの山際にある柑橘畑を見上げ、
……こんな話が続き、どれほど時間が流れたのだろう。少なくとも、予定していた対談時間の一時間は軽く、過ぎていた。
師匠の抑揚の効いた落語家のような話に満足したのか、マダムは「そろそろいんでくらよ」と師匠の書斎を後にした。
「やれやれ。話しようと思てたのに、大変やったな。時間、まだ大丈夫かい?続けてよ」
突然の来客にも狼狽えたり、疲れたりした様子がまったくない。それどころか、わたしの方を気にかけてくれている。なんと器の広い師匠なのだ。
わたしは、感動にも似たような気持ちに浸りつつ、インタビューに話を戻した。
これが俺の生きる道
~激動、大畑昇一の船旅~
おばさまの後姿が見えなくなってから、師匠は小説を書き始めたきっかけを語り始めた。
「小学校から興味を持ち始め、中学校の時に通学路の目に見たもの、感じたことを文字に起こし記録したくなった」中学校のガリ版印刷の道具を使いたくて、25人の生徒の文集を作ろうと活動を始めた。興味を示さない人の分は、師匠が代筆。やがてはほとんど一人で代筆するようになった。
とにかく、文字を書いているのが好きで好きで仕方のない少年だったよう。先生に褒められ、地方新聞に紹介され、出版社にも幾度となく応募した。読売新聞に掲載され、大阪や東京の本社に招待されたこともあった。原稿料だけでは生活ができないため、セールスマンや輸入品販売営業、不動産管理の職業などを経験した。俗にいう”家持”のため帰郷。「その後は土木作業員、工員、福祉支援員などで活躍するも、ALSを発症しリタイア。以後は執筆と妄想、空想に専念している」というのは本人談。
下半身は思うように動かないため、自宅での生活は車いす。外出時は、車いすから車に乗り移り自分で運転する。食材や生活品の買い出し、95歳のお父様の食事の世話まで…すべて二人だけで生活している。
自宅から車で4,50分離れた生家には、週に2回ほど来る。断捨離と日記、それに温めていた作品の構想を深めるために。物置きを改装した三畳ほどの書斎には以前、様々なジャンルのたくさんの書籍が保存されていたようだが、今は随分と整理され、”売れ残った”という三国志、徒然草のほかに、柳田邦夫や志賀直哉。それに安部公房ら、お気に入りの書籍をインテリアとしている。
大畑昇一という大宇宙
師匠の話を聞いていると、私はいつも感心させられてしまう。アッという間に時間が経過する。とめどなく次から次と様々なジャンルの話題が尽きない。
その様は、大宇宙に新たな命「フレアデス星団」が絶え間なく湧き出すようなものである。
そしてついには、大畑ワールドの終点、ブラックホールに吸い込まれる。壮大な宇宙船での旅を終えるとそこには、何とも例え難い、夢のような時間を過ごした余韻が、胸いっぱいに広がるのである。私には、この刺激がたまらない。
大畑さんの日課
~今を力強く活きる~
Youtubeに自分の落語をUPし、ブログで日常の出来事や諸作品を紹介する。
書き溜めている作品も多く、構想段階のものまで含めると数えきれない。
こんな前向きで、エネルギッシュな70歳のALS患者が他にいるだろうか。
師匠は、絶賛”絶版”中の著書の中で、自分のことを
「男。 自称私立探偵。 独身。 無名の文学者、哲学者、孤高の詩人、作詞家、現実派の夢想家、空想家、探検家。 孤独な色事師、詐欺師、すけこまし、遊び人、料理人。 土木作業員。 元工作員もとい工員、この本一冊で作家デビューする未完の大器、タイガースファン。 山野草愛好家。 ネット古書店・無才洞書店店主。 難病ALS闘病家。 初老の貴公子
役立たずのならず者。 うそつき」『相棒は笑わない』(花の木 ゆう太 著)
などと記している。 どこまでが実話で、どこからが作り話なのか…。
- 男
- 自称私立探偵
- 独身。
- 無名の文学者
- 哲学者
- 孤高の詩人
- 作詞家
- 現実派の夢想家
- 空想家
- 探検家 孤独な色事師
- 詐欺師
- すけこまし
- 遊び人
- 料理人
- 土木作業員
今回、師匠のことをどういう角度から紹介すべきか、むずかしい。話をまとめるうえで、何か突破口はないものかと作品の題名の理由を問うた。当初は『空飛ぶ車イス』にするつもりだったようだが、すでに使用されていたために断念した とのこと。またしても上手くかわされ、本質を聞くには至れなかった。……チーン。断念無念(苦笑)
―根底にある夢と希望の心―
ただわたしはこの二つのタイトルから、少なくとも師匠は、障害を持っている人に「諦めない気持ち。夢と希望を持ってもらいたい」ということを伝えたいのでは と推測する。
ぐだぐだになってしまったが、インタビューの最後に師匠が添えてくれた言葉で本文を締めくくりたい。
「ワシのことを紹介するなら世の女性が、霧の中に消えていくミステリアスなワシを追いすがりたくなるようなものにせなあかんで」。
わたしはこの日、師匠のすべてを包み込むような温かい笑みを受けて、大畑家をあとにするのだった…。