みなさん、こんにちは。狩谷亮裕(かりや・りょうすけ)です。
当サイトを作った時に、「ごあいさつ」を作ったのですが、こちらのサイトの不具合の都合で、他の記事は生き残ったのですが、以前作った「ごあいさつ」だけが復元不能となってしまっていました。
そこでこのサイトを立ち上げた当時から変わらぬ思いはそのままに、サイト立ち上げから2年弱が経った今だからこそカタチにして話せる思いも書き加えて、心機一転。あらたな「ごあいさつ」を記しておきたいと思います。
Contents
狩谷 亮裕のプロフィール
~2024年9月9日更新~
2024年9月9日現在
1998年 | 和歌山県日高川町生まれ。
生まれつき(先天性)の脳性マヒによる「両上下肢運動機能障害」
その影響もあり、外出時は車いす中心で、
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2011年4月~2017年3月 | 中学校から和歌山県立みはま支援学校に通い始め、以後、 |
2017年4月~ |
私立奈良大学に所属するが、
そこからしばらくは大学ではなく病院通いの日々だったが、
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2019年6月 | 「こころ検定2級」に合格し、『 |
2019年9月~ | 県内のドライビング・スクールかいなんに入校し、 |
2019年12月 |
同ドライビングスクールを卒業し、
晴れて運転免許取得者となる。この流れについて詳しくはコチラの記事をご覧ください。 |
2020年1月~ |
『COSMO ROSE~障がい者にエールを~』を立ち上げ、
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2020年7月~ |
サイト兼プライベートブログ「かざみわし」を発足。
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2023年1月31日付 |
日本プロカウンセリング協会1級心理カウンセラー養成講座修了。
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2024年8月18日付 |
同協会FITファシリテーター資格認定講座修了。
と同時に初コロナ記念日(苦笑)現在に至る。
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抜け殻のような毎日を過ごしていた過去
私はもともと生まれつきの脳性まひで、物心ついたころには車いす生活でした。
小学校は、家の近くのところに通いましたが、そこで私のような車いす使用者は1人。
人には恵まれたなと今でも思いますが、「大丈夫か」?「手伝うことないか」?とよく当時からみんなに気にかけてもらっていました。
最初はそんなに気にもとめなかったですが、やがて小学校高学年になってくると、かつて先生から、「先輩たちをみて、自分もこの学年ぐらいになったら、今の先輩たちのような、後輩の見本になる先輩にならなあかんで」という言葉が印象に残っていたのもあり、次第に
「こんな頼りない先輩でいいんだろうか…?」
「自分は先輩らしいことを出来ているのだろうか…?」
と思うようになり、このころから、自分も誰かに助けてもらうばかりでなく、
誰かの役に立ちたい!自分も誰かに寄り添いたい!
という思いが強くなっていきました。これは今でも私の行動の源にあるものです。
時が経ち、高校卒業後。
私は心理学を学ぶため大学へ進学しましたが、環境の劇的な変化や人間関係などから周囲になじめず、10日ほどで地元に帰ってきました。
精神的に参ってしまい、生きる気力0だった私。朝起きて、歯磨いて、食べて というこの当たり前の「朝の身支度」すら気だるくてすっぽかす程にはダウンしてました。
今日一日何して生きていようか。そんなことを考える毎日。その当時は、自分以外の全ては敵!みたいに思っていましたから、気分転換に人と会ってどこかにおでかけ なんていうのもとんでもないし。ひどい時には、家の天井を見て、「今日も1日、息してるだけか」と「また今日が来てしまった」と落胆する毎日。いわば抜け殻のような毎日を過ごしていました。
葛藤の日々と”運命的”な出会い
そんな中でも、やはり、このままではいけない。と思う自分がどこかにはいて。
外には出よう。でも、人と会うのは怖い。また新たに人間関係を作っても、壊れてどん底を見るのはもうイヤだ。リスクを冒すぐらいなら、そんな冒険はしない方がいい。
でも、このまま一生こんな生活をしていてもダメだ。葛藤と戦いの日々でした。
そんな折、私を気にかけて外に連れ出す機会を設け、それだけではなく、色々な人と出会うキッカケや場づくりをしてくれる人との出会いもありました。
ただ闇雲に声をかけて連れ出すのではなく、狩谷くんのタイプや性格はこうだから、この人とは合うだろうと。負担にならない程度に”人慣れ”させてくれました。
私は関係性が出来てきたころに、「狩谷くんの性格は分かっているから、人選(この人と合うか合わないかの判断)は任せなさい」と言われたのが、とても印象に残っています。
この人になら、自分を任せていいんだなと。今思えばタイミング的にもまさに”運命的”な出会いだったわけです。
余談になりますが、後に時間が出来て自分の名前に使われている漢字の成り立ちを見た時に、亮裕の「亮」の字に
「すけ(大宝令で職(しき)の四等官の第二位。長官を補佐する官=今でいう首相と官房長官のような関係)」とあり、自分が、誰かの役に立ちたい!自分も誰かに寄り添いたい!というマインドになるのにも、すごく腑に落ちました。
Cosmo Rose、始動!
~狩谷亮裕にエールをくれた方々~
こうして、私は様々な人と出会い、お話しし、繋がりました。
その中には、自分自身も大変なのに私の状況や思いを聞いて、私に「がんばれよ」と優しくエールを送って下さる方もいました。
内容自体は、
「最近どうよ?」「まぁ、ぼちぼちです」から始まる、とくに中身がない世間話。
でも、私はそんな方たちとの時間が好きでした。自分以外にも、大変な思いをしている人もいるんだな。自分もまだがんばれる。思い返せば、私は精神的に参って戻ってきているのに、この方たちとなんでもない話をした後だけは決まって、自分は何でもできる気がする!と不思議と超がつくほど前向きになっていました。
そんな中で以前の記事、『シリーズ「インタビュー企画」名変更のお知らせ
』でも
もともとこの企画は、私のインタビューに答えてくださる方々が、話すのを聞いて言葉だけでなく、すごく前向きでエネルギッシュなものを感じたため、この言葉を自分たちだけでしまっておくのはもったいない。サイトか何かを立ち上げてOPENなものにしよう!というのが企画の始まり。このサイトの始まりでした。
と書きましたが、
このような思いが芽生えてきて、このサイトの主要コンテンツの一つにインタビュー企画をしよう!ということになり、当サイト、「Cosmo Rose」は立ち上がったのです。
私の「障がい」に対する考え方
前置きが長くなりましたが、ここまでCosmo Rose立ち上げの経緯について、お話ししました。
ここからは、Cosmo Roseの名前の由来や、目指していることを話していこうと思います。
と、その前に私自身の「障がい」に対する考え方・捉え方を定義しておこうと思います。
私は以上のような経験や、これまでの様々な人との出会いから、
障がいとは、運動会の競技などでやる、障害物競走の「障害」とよく似たものである。という自論を持っています。
私たちは普段、障がい(もしくは障害)ってなんだろう?みたいに深く意識することはあまりないと思います。
けれども、車いすの人の前に階段やエスカレーターが現れたりするのと同じように、障害物競走の準備が整い、レースがスタートすると、途端に目の前に乗り越えるべき壁が立ちはだかる。
私たちが必死で障害物を乗り越え、ゴールを目指すように、車いすの人の前に階段やエスカレーターが現れたりした場合は、杖や手すりを使ってゆっくりと上るか。あるいは、エレベーターを使うなどすれば乗り越えられます。
そうして、目の前の障害(物)を乗り越えた・乗り越えるための方法を得た時、それは障害ではなくなるのです。
これを日常の生活に置き換えて考えても、
例えば、”仕事や恋愛など、近い将来そんなことで悩まなくなるであろうことでも、どんな些細なことでも『今、悩んでいる』のならそれはもうその人にとって障害=乗り越えるべき壁である”。これを障害と定義するのであれば、障がい者・健常者問わずに言えることだし、だとすれば今の世の中、「障がい者」は多いはずだと私は考えます。
なのであれば、
障がいなどに負けずに、前向きに生きている人に寄り添いたい
当サイトでは、障がいを抱えて困っておられる方に寄り添って ということを第一に見据え、当事者目線であることを大事に。様々な内容を多くの方と共有・共感したい!という思いのもと当サイトを立ち上げました。
Cosmo Roseとは?
サイト名である『Cosmo Rose』は「COSMOS」と「ROSE」を掛け合わせた言葉です。
まず「COSMOS」はカオス(chaos)の対義語で、秩序のある や 調和のとれたという意味を持っています。
後に続く語”ROSE”との関係で、Sを省いていますが、「COSMO」という単語として読み解けば、都会的であるや流行の、人気のあるといった意味にもとれます。
当サイトも、まずは私たちの地元である和歌山県下から活動を進め、いずれは「COSMO」という字面に負けないたくさんの人々に見てもらえる”人気のある”サイトにしていければと考えています。
関わってくれるすべての方に”誠意”をもって
そして「ROSE」はバラという意味です。バラの花言葉には、「愛」や「情熱」。「ロマンス」という意味もあり、当サイトの読者の皆様はもちろん、地元の方々はじめ、私たちと関わってくださるすべての方に感謝し、真心と誠意を持ってお付き合いさせて頂きます。
このサイトでは、障がいを持っている方だけではなく、いろんな方面で頑張っている方々も応援していきます。
このサイトを見ればホッとする、私にも居場所が出来た。と思ってもらえれば幸いです。
人やものとのつながりを大切に、一人ひとりが自分の思いを発信し、誰かにも紡いでいけるようになればいいなと思っています。
令和4年5月7日